ただ君を待つ

多分、これから先あの娘には辛い日々が待ってるんだろう。
実際、それだけのことをしたのだと反省はして頂きたい。
それが誰であれ、有名になるということは常に人の目を意識していなければならない。
ちょっとぐらい、が許される立場ではないのだ。
何より彼女について残念なのは、その煙草に火をつける時、誰の顔も彼女の頭に浮かばなかったらしいこと。
その“ちょっとぐらい”がどれだけ自分の周りの人に迷惑をかけるか、
そういうことに一番敏感な人だと思っていただけに、ほんとに、ほんとに残念だ。

あの雑誌については、いつもながらえげつない事しよるなとは思う。
しかし、それは呆れる程“古い手”であり、それに引っかかる方がどうかしてるのだ。
悔しければ、引っかからなきゃ良い。
それだけの事である。
・・・そう思ってはいるが、やはり腹立たしさは禁じ得ない。
偶然、その日あそこに居たらしい記者は、
あの娘が煙草を吸ってた時、写真を撮る暇はあっても注意する暇はなかったらしい。
確か法律に寄れば、吸っていた本人より注意すべき立場にいた大人の方に重い責任があった筈だ。
そのとき、常識ある大人な筈のその人は何をしていたのか、聞きたいものである。

重ねて言う。
確かに今回のことは本人の無自覚と無知が引き起こした事だ。

ただ、12歳で親元を離れて東京に出てきてから6年間の彼女の努力を、涙を、苦悩を、喜びを、
この一事で全て否定されるのはとても哀しい。

罪を憎んで、人を憎まず。

私は彼女が帰ってくるのを待とうと思う。
18の誕生日のとき、私は彼女の声が好きだと書いた。
あの歌声がもう聞けないとは思いたくない。
もし、これを乗り越えてなお、彼女がまた歌いたいと言うなら、
私はただそれを待とうと思う。


ああ、らしくもなく、真面目に書いちまった。
何か思ったよりショックを受けてたみたいだ。
こんなに自分があの娘が好きだとは思わなかったよ。