私がおばあちゃんになっても

と、かつて歌ったのは森高さんだが、きっと自分はよしざーがおばあちゃんになっても好きな気がする。
まあ、まずばあちゃんになった彼女っつうのも想像しにくい*1のだが、笑い皺とか出来て、少々むむっと思うような姿になったとしても、相変わらずへらへら笑って、時折どうしたんだ?ってな行動しちゃうようなよしざーであるなら、全然愛せると思う。

それと同じように、安倍さんがもしおばあちゃんになっても、やっぱ好きだと思うな。むしろ、このまま年を重ねていくこの人達を、ちょっと離れた位置から見ていたい。
紆余曲折あったけれども(いや、それであるからこそか?)、上手い具合に年を取ってると思うんだよね、二人とも。良い意味で年相応と言うか。
同じくらいの年の子が、ああ、そうだよね、と自分を重ねられる対象と言うか。

なんかね、今度の安倍さんのアルバムを聴いて、今までのことは何も無駄じゃなかったんだと思ったんだよ。
一枚目にはまだ“モーニング娘。安倍なつみ”の匂いがあったんだけど、その間にあったいろいろなことを消化して、ようやく全編安倍さんの匂いがするアルバムが立ち上がったんだなあって。
そんで、また、その匂いって言うのが、とても心地の良い匂いなんだよね。
派手さはないけど、そこにあるとホッとして、気持ちが軽くなる。側に置いときたい。そんな感じ。
それはとても自然に安倍さんが歌えてるからこそ、感じられる“軽み”だと思う。歌われているのは正しく『染みわたる』想いであるんだけど、それを重荷に感じさせないんだよね。
これが、少し前の安倍さんならまた違った色合いになっただろうな。もっと切ない方へと流れた気がする。
それがこの形になった事自体、安倍さんが“ちゃんと”年を重ねてる証拠じゃないだろうか。

で、思ったのが、来年、再来年の安倍さんも見ていたいなあってこと。
きっと、次もその次も、その時の安倍さんの姿が見える歌を歌ってるんじゃないかな。
アイドルなんて商売をやってると、『年を取る』ってことはまるで途轍もなく悪いことのように言われるけれど、こうやって己の中に降り積もった時間が発酵して、香りよいゴチソウになるなら決して悪いことじゃないと思うよ。
多分、来年このアルバムの曲をコンサートでやったとしても、それはまた違う歌になってると思うなあ。

*1:何かいつも危なっかしいイメージがあって、ちゃんと真っ当な生活を送ってるよしざーがあんまり想像出来ないんだよな。