シャボン玉

といやあ、儚いものの例えだが、この二人のシャボン玉は濃かった。
色々、思ったこと。ああ、例によって思いっきり私感。しかも、妄想多め。長いよ(泣)
これほどね、ツアーの初めと真ん中と終盤で違う曲は今回のツアーの中じゃ、藤本さんのメロディーズぐらいかな。
初期、これね、ほんとどうなるんだろうと思ったよ。
当初からね、こう、吉澤・亀井とも、一つの世界を作ろうと意識はあったんだとは思う。
ただ、後で書くけど、吉と亀っちゅうのは、非常に親和性の高い組み合わせではあるんだけど、基本二人とも歌に対するアプローチが違うんだな。
例えば、歌が水だとして、水の中にまるで以前からそこに居たかのように、すーっと入り込んでしまうのが、吉。
だからといって、その世界にとけ込んでしまうでもなく、吉澤ひとみとして存在してる。しかも、水そのものの色とか匂いとかは変えたりしない。
で、水を飲み込んでしまうのが、亀。
ちゃんとその水に含まれてる色とか匂いを吸収しはするんだけど、ほぼ己を変えることはない。水はあの子の中で分解されて、亀井絵里になる。そういう感じ。

で、だ。吉澤にとって、シャボンは前にも書いたけど、苦手な世界なんだよね。
何つうか、男に詰寄るにしても、ああいう風にはならない気がするんだよ、吉澤って。いや、あくまで私的にね。
本当に切れたら、一切顧みなくなっちゃうとかさ。笑顔に見えても、心の中ではシャットアウト、みたいな吉澤っていうのは想像つくんだけど*1
そういう意味では、吉澤の中にはない世界っつうか。
しかも、テクニック的にも言葉を叩きつけるように歌うこの手のタイプは多分苦手な筈。自分が見るに、吉澤って、一つ一つの言葉というより、もうちょい長いセンテンスで歌を捉えてる気がする。
ダンスもそうだけど、一つの曲の流れと言うか、曲に流れてる思いに重点を置いてるっぽいんだよね。
だから、感情の機微と言うか、細かいニュアンスを捉えて表現するのは得意なんだけど、剥き出しの感情のまま歌い切るって言うのは、あんま得意な感じではなかったんだよ。少なくとも、これをやるまでは。
だから、神戸で見た時、あら、珍しく迷ってるなって思ったんだよね。自分の苦手な表現で、自分が入り込みにくい世界を歌わなきゃならない、葛藤みたいなものがちらちら見えて。
何か、強く歌わなきゃって思いに囚われすぎて、自分の持ち味である細かい感情表現を出来ずにいたし。亀ちゃんに引きずられまいという思いとか、だけど、一つの世界を作らなきゃみたいなとこもあって、すごく戦ってたと思う自分の中で。

亀はその点、歌の世界に対する違和感ってのは少なかったと思うのね。
というか、理解するも何もまるっと世界を飲み込んでしまうから、そこは亀井絵里の世界なんだよね。
表現的にも、こういう強い押し出しの曲って、一つのパターンとして持ってるし。
ただ、相手するのが吉澤だから、ちと勝手が違ってきちゃったんだな。奴は究極の巻き込み型だから(笑)
いつもなら、ああいう局面でも己の世界を保ってられる亀ちゃんも、己を保ちつつ、共通の世界を作るのは難しかったみたい。
違うか、そういう風に歌を捉えるということ自体が初めてだったのか。それまでは、自分の世界を作るので必死で、誰かと合わすだとか、誰かと一緒に歌の世界を作り上げるみたいなとこまで気が回らなかったんだろうな。
で、神戸で見た時は、お互いまだ手探りで、微妙に意識をし合ってて、何とかしなきゃって気持ちばっかり先走った挙げ句、変な緊張感があの一曲の中に渦巻いてた。
それはまあ、多分、本人達も不本意なんだろうけどさ、二人の気持ちだけは伝わってくるが、歌の世界は見えず、お客さんも置いてけぼりで、何だか座りの悪い世界だったのよね。

それが武道館で見た時は、びっくりしたね。もう全然違う世界になってて。
多分、吉澤が亀ちゃんの世界に寄り添うことで、バランスが取れたんだろうな。そういう部分に気を回さずにすむ分、お互いが自分の世界に専念できてた。
結果として、世界観が統一されて、見る方としてもすっきりと入り込むことが出来たし。吉澤は本来の細かいニュアンスを取り戻してる。歌に表情がつき始めてた。
亀は吉澤がリードしてくれるんで、安心して身を任せてる感じ。その上で自分の表現って奴にのめり込み始めてた。
しかも、これが恐ろしいことに、二人ともそうすることを楽しんでる風だったんだよな。
お互いがお互いの世界を理解して、あっちがこう来るんなら、こっちはこう、みたいなやり取りを、言葉じゃなく、目でやり合ってると言うか*2
ようやく、よしかめの“シャボン玉”が見えたって感じ。正直、ここで終っても、一つの形だなあとは思ってた。ただまあ、吉ヲタとしては、完全に歌を自分のものにした吉澤を見てみたい気はしてたけど。

そして、大阪。これがまた違う世界だったんだな。笑っちまうことに。
もうね、某ろさんも書いてはったけども、完全に二人で一つの世界になってた。息が合うとかじゃないんだな、合わせる必要もないって感じなのよ、お互いに。
何つうのかな、吉澤ひとみの世界と亀井絵里の世界の外に、もう一つ大きな“シャボン玉”の世界を作り上げちゃったから、自分達が少しぐらい色を出したって、世界は変わらない、みたいなね。
何しか吉澤が吉澤だったんだよな。場面場面で変わる豊かな表情も、身体から放たれるオーラも、言葉の端々に見える感情も、ちゃんと吉澤だった。ちゃんと“シャボン玉”の世界を表現してた。やっと、シャボン玉の世界に自分を置くことが出来たんだなって思ったよ。

亀はと言うと、やっぱ亀なんだよね。でも、強くなった。例え、横に吉澤がいようと、遠慮せずにこれが亀井絵里なんだ!と訴えかけてた。目がね、強いのよ。確かに切ないのは切ないんだけど、はっとする程強いの。心を射られた感じ。

で、それが躍動する身体として現れる訳だ。そりゃ圧倒されるっつうの。二人ともほぼ同じ世界を描いてるのに、全く違う表現なんて。
しかも、それが実に立体的で、匂いとかまで感じられそうなんだよ。触れそうっていうか。

すげーね。これぞコラボレーションだ。二人がぶつかることで出来上がった一つの世界だ。
この時期にそういう機会を与えてもらった二人はしあわせだな。変われることの幸せだ。
二人とも今まで自分になかった武器を手に入れることが出来たもんね。吉澤は歌を通して感情を解き放つことを己に許したし、亀ちゃんは歌の世界を作り上げる喜びを知った。
どちらもアイドルをやるには邪魔かも知れないけど(苦笑)、何かを表現するということには必要なことだと思うよ。
ま、二人共が不器用で、自分のやり方しか出来なかったからこそ、出来た技かも知れんが。
これからも、一つ一つそうやって覚えていって欲しいな。自分の表現の仕方って奴をさ。

ぶきっちょで、まっすぐはいいんじゃない、ってね。

*1:ある意味そっちのが怖いやね。気がついたら、他人になってました、なんて(笑)

*2:前から思ってたけど、よしかめってその辺、よしごまに近いのかも知れない。言葉じゃないとこでコミュニケーションが成り立つって点で。