続続・歌との付き合い方 1

えー、本当なら東京で野田地図なんかを見てた筈なんですが、お腹の調子が定まらないので、お家で書きかけだった奴を仕上げてみました(泣)
以前、歌を水に例えるなら、吉澤はその中にすっと入っていける人、亀ちゃんはその水を飲み干してしまう人って書いたことがあるんだけど、じゃあ他の人はどうかってことで。
まず、安倍さん。安倍さんはね、亀ちゃんに近い(というか、亀ちゃんが安倍さんに近いのか)んだけど、飲み干した水の色に自分を変えられる人。山の雪融け水なら雪融け水のように、夏の海なら夏の海のように、自分を変えてみせる。でも、だからと言って、安倍さんが本質を損ねるようなことはなくって、そこにいるのはあくまでその水を得た安倍さんなんだよな。
こっちとしては、その水を得てどんな安倍さんが出て来るか、それが楽しみというね。
次にまっつーまっつーはその水を使って遊べる人って感じ。まっつーの手の中で、伸びたり縮んだり、甘くなったり、熱くなったりと、色んな形に歌は姿を変えるけど、きっとまっつー自身はあまり変わらないんだよな。
あー、間違っちゃいけないのは、別にまっつーが歌を粗雑に扱ってるって訳じゃなくて、その歌の本質を捉えた上で遊んでるってこと。いわば、その歌の世界を広げようと言う試しみなんだな。
これって、塩梅がとても難しくて、やり過ぎればその歌の持ってる世界を壊しかねないし、遠慮して踏み込まなければなれば面白みがなくなってしまう。
色々試行錯誤をしていく中で、まっつーは敢えてその難しいとこを狙っていったような気がするな。某mさんも書いてたような、まっつー藤本美貴の呪縛から逃れるには、この道しかなかったんじゃないだろうか。
いずれにしろ、まっつーまっつーの世界を作っていくのは、むしろこれからなんだと思う。あれが松浦亜弥の完成型ではないと自分は思うんだよなあ。
じゃあ、その藤本さんはと言うと、その水の美味しいところだけ、そっとすくい取れる人。なんて言うんだろ、藤本さんが見て、感じた、その水の匂い、色、空気、あるいは感触、そういった言葉では表しにくいものを上手にすくい上げて、すっくりそのままこちらに見せてくれる感じかな。
で、藤本さんがすごいなと思うところは、あれだけ歌えるのに、その歌に何か足したり引いたりしないところ。そこにあるのは、歌と藤本美貴の世界であって、それ以外何も要らないんだな。
何つうか、真っ向勝負なんだよ、そんなとこまで(笑)実に正直でシンプル。でも強い。
とある人が言ってた通り、孤高の人っていうのもあながち間違いではないと思う。
でも、だからこそ、今まであまり誰かと世界を共有することとか、同じ世界を作り上げるということが、出来なかったんじゃないかなとも思うんだよな。
まあ、そうすることが必要だとも思わなかったろうし、実際、必要なかった訳だけど。
それがこの夏、初めて誰かと世界を共有すること、もしくは、誰かと世界を作り上げることの楽しさみたいなものを、知ったんじゃないかと思うのね。
言わずと知れた、ミュージカルのお陰で。
って、ここから先はまた別の話かな。続きはまた明日ってことで。