ありふれた奇跡

某mさんから激推しされてもいたし、一度あの空間で歌う飯田さんが見たかったので、はるばる広尾まで行ってきました。
で、行って思ったことはなんで今まで自分はここに来なかったんだろうと言うこと。
いやマジ、歌が好きな人は行った方がいい。飯田さんがあの会場で作り出す空気って奴はちょっと他では味わえない。詩人の気持ちになれるよ。何か綺麗っていうのはこう言うことだなと思います。
色んな意味で。
何だろうな、選曲、衣装、楽器の構成、照明、飾ってある絵、今回はお料理まで、飯田さんの心遣いが感じられるの。
全てにおいてシンプルなんだけどね、お客さんに楽しんでもらおう、いい歌を聞いてもらおう、ていう気持ちが隅々まで行き届いてる。
それも少しでも自分を良く見てもらおうとか格好良く見せようとか、そういう嫌らしさは一切ないんだな。ただ、飯田さんがいいと思ったもの、好きだと思ったものを集めてったら、ああいう心地よい空間が出来上がったんだと思う*1
そう、またこの空間の使い方がとても上手くてね、何か飯田さんの手のうちにいる感じがするんだよ。
何ていうか、同じ手のうちにいるんでも安倍さんのように包み込まれるという感じではなくて、ふわっと優しく手のひらの上に乗っけてもらってる感じなんだよな。こう束縛感はないんだけど、ほのかな温かさは感じると言うね。距離感が絶妙なんだよなあ。
ひょっとすると、あの空間の把握の仕方は、飯田さんが絵を描くことともちょっと関係してるのかも知れないな。光の当たり具合であるとか、うちらとの距離とか、飯田さんの頭の中に“構図”としてある気がする。
そして歌がまた。こう、ぽつぽつと降り続く雨みたい。気がついたら、心の中に沁み込んでくる。中にはさ、聞いてすぐ意味の取れないようなギリシャ語の歌だってあるのに、何か説得力あるんだよ。
自分みたいなひねくれ者には恥ずかしいような、何でもない日常の素敵なことであるとか、誰かを思う気持ちであるとか、そう言うものもさ、飯田さんが歌うと、ああ、そうだよな、そういうの悪くないよな、って素直な気持ちになれるっていうかさ。
大上段に振りかぶる訳でもない。押し付けがましいことなんか一切ない。なのにすっと心に入ってくるんだよな。
安易にさ、癒されるとか言いたくないんだよ。飯田さんの歌に力があるのはさ、飯田さんが歌の力を信じてるから。そこに込められてる気持ちにずっとリスペクトを送ってるから。
その飯田さんの気持ちに嘘がないから、こちらとしても素直に受け入れられる。むしろ受け入れたいと思わせられる。
何かね、飯田さんが感じてる素敵なもの、綺麗な心地、それをちょっとお裾分けしてもらってる感じ(笑)
ほら、これ、美味しいでしょ、綺麗でしょ、って差し出される世界の心地よいこと。
信じてることっていうのは強い。そして、その信じているものをそっくりそのまま差し出してくれる飯田さんも強い。
ちょっとね、あの濃密な空間でああいう風にされると、降参ですよ。ていうか、うっとり(笑)ほんと、何もかもが心地良いんだもん。
きっと、あの日に聞いた、ありふれた奇跡は忘れないな。んで、嫌なことあった日とかちょっと思い出してみんだ。ふっと一息つくために。

本当に、本当に御馳走さま。食後のデザートのガトーショコラのとともに、バレンタインの最高の贈り物になりました。大変美味しゅうございました。
あ、でも、あのMCは反則。かおりんて何て可愛らしい人なんだって思うの受け合い。これが吉澤の言ってた、ぼやっとしたかおりんなんだなって納得。きっと聞いたら飯田さんのこともっと好きになると思うよ。

*1:ハロの演出陣にもこういうセンスがほしい(笑)