傾向と対策

えー、音楽戦士にGAM登場ってことで、またもやまっつーのことなど。
えーとですね、むーちょさんも触れてる通り、現在ハロの年長さん達は軒並みアーティスト路線に走ってる訳ですが、まっつーに関してはそちらに進むのはあんまお勧めではないかも知れない。
いやあ、自分が日曜日に見た限り、彼女はエンターティナー方面へ進む方が、ずっと彼女らしく振る舞えるんじゃないかと思うだけなんすけどね。本人の志向はともかくも。

何と言うか、ハローというのは、アイドルと名乗ってはいるけども実はアーティスト志向の高い、ちょっと変わった集団なんですよ。
ま、プロジェクトの立ち上がりを考えれば当然ちゃ当然なんだけど、ちょいとねじれがあるんだよね。その時点で。
で、アーティストって何?と言えば、“語るべき物語”を持つ人であり、且つそれを表現しようとする人なんだな。私の中では。
例えば、毎度おなじみ安倍さんは自分を含む世界を語る人。だから、何を歌おうと演じようとそこは安倍さんの世界なんだね。
吉澤さんは近いけども、あくまでストレンジャー。どんな世界にもすっと入っていけるけど、そこの世界の人にはならない人なんだな。だから、語られるのはその世界の中で自分がどうあったか、ってことになる。
藤本さんは、その物語の語り部。常にその世界の外に居て、自分が見た世界を語る人。他の二人が一人称な人であるのに対し、藤本さんは三人称の人なんだな。世界と程よい距離がある。
こちらは飯田さんが近いと言えるかな。ただ、飯田さんの場合、そのもの語りを広く世界のこととして歌えるんだな。だから、スタンダードを歌っても様になるっつうかね。

んで、まっつーはと言うと、これが難しい。というか、まっつーはそういうの必要としないタイプなんかも知れない。
何つうか、まっつーの在り方として、歌の世界に“自分”を持ち込むのを良しとしない、みたいなのをいつも感じるのね。
歌は歌としてそこにあって欲しいと言うか。出来る限り、余計なものを混ぜたくないと言うか。
まっつーが感じて欲しいのは、その歌の“空気”であったり、“匂い”であり、自分が見た世界でも、ましてや自分自身のことなんかじゃないって気がするよ。
これって、実はとても強度がいることなんだよな。弱い自分をさらけ出したりする訳にはいかないんだもん。常に『松浦亜弥』であって、しかも、より分かりやすい形で世界を示さないと、さ。
そう言うのってさ、表現者としては間違ってなくても、およそアーティストっていうのとはまた違う存在なんだと思うな。
アーティストって言うのは、結局極私的な世界の人だから。
まっつーのことをポップスモンスターと書いたけども、基本まっつーはやっぱポップスなんだよ。
アーティストにはなり得ない人だし、ならなくても良い人だと思う。

えー、なんで今回こういうのを書いちゃったかと言えば、GAMな訳です。
ずーっと前に、まっつーも藤本さんと組んで、自分と藤本さんとの違いを感じて欲しいって書いたと思うんだけど、どうなんだろと思って。
いや、ややこしいのはさ、藤本さんは完全にアーティスト方向の人なんだけど、その世界の匂いを表現すんのがとても上手いこと。
でも、それは藤本さんが感じた匂いであって、正確にはその曲の匂いではないかも知れないんだよな。
一見よく似てるけど、いわゆるまっつーが目指すとことちょっと違うと思うんだよ。
間近で藤本さんを見て聞いてさ、まっつーがそれを感じてくれればいいなと思う。


ま、何だかんだ言ったって、この二人を見てるのは楽しいけどね。
華はあるし、トークは切れる(あらゆる意味でw)し。
どこに出しても、恥ずかしくない二人。

でも、本当に見たいのは、そのユニットを終えた後の二人かも知れないね。
一体、どんな風に変わるか(あるいは変わらないのか)、ちょっと楽しみではある。うん。