歌ドキっ

いろいろと、歌と吉澤さんについて、妄想など。各所の感想も踏まえて。
やー、いい。何だろまた雰囲気が違う。男歌なのに透明度が高い。少年っぽい。けど、艶っぽい。
吉澤さん、何か歌う度自由になってってる気がするよ。
吉澤さんてさ、前にも書いたかもだけど、歌のイメージを大まかに捉えといて、実際に歌いながら肉を付けたり削ったりしてるような気がする。これっていう全体的なイメージは出来上がってるんだけど、あえて作り込まないで、歌ってみた感触や、お客さんのレスポンスによって、試し試し作っていくっていうか*1。固定的なイメージで歌を縛りたくないんだろうな、遊びの部分をわざと作っとく、みたいなさ。
で、一人になってからこっち、段々この遊びの部分と固定イメージの部分とがシームレスになってきてる感じがするんだよな。より縛りが薄くなってさ、自由に歌の世界を闊歩してるっぽいの。あくまで、自分個人の思い込みだけど(笑)
でね、これまた勝手なイメージだけど、吉澤さんて歌の世界を旅してるイメージがあるのな。こう、歌って一曲づつ色んな世界があるじゃん、それに合わせて色んな服に着替えたり、いろんな言葉を覚えたり、時には肌の色だって変わったりするかも知れないけど、それは紛れもない吉澤さんなんだよな。
で、吉澤さんの歌って言うのは、その自分の見た世界を自分なりに描いてみる事なんだと思う。その時々によって、タッチや色合いを変えながらさ。ただ、その世界が見る人によって違うことも知ってるから、世界を自分の色に塗りつぶしたりしない。あくまで自分が見た色、匂い、形をこちらに伝えるのみなの。
つまり、こちらに想像をする余地を残しといてくれるんだな。吉澤さんはこの歌をこう捉えているんだろうか、とか、この歌は吉澤さんにはこう見えてるんだ、とかさ。色々妄想するスキを与えてくれるの(笑)だから、吉澤さんの歌を聞くと何かしらストーリーが見える人がいたとしたら、それはその人が吉澤さんの歌によって、想像力を刺激された結果なんだと思う。
溶け込めど、染まらず。それが吉澤さんの歌に対する基本姿勢だと思うんだけど、それは結構生きるスタンスにも近いかもね。
えー、なので、吉澤さんが男歌を歌えるのは、それだからっていうのもあると思う。その歌を自分と言うプリズムを通して、違う形に表現できるというね。
ま、ハロで男歌が他に歌えるとしたら、安倍さんと藤本さんかな。安倍さんのようにその世界そのものを自分の中に含んでしまうか、藤本さんのようにその世界の美味しいところだけを掬い取ってしまうか。いずれにしろ、世界全体の絵が描けて、なおかつ自分なりの表現が出来る人のが向いてると思うんだよね。
と、いうようなことをね、週末ぼんやりと考えながら、ぼけーっと過ごしてました。はい。

*1:つくづくライブ番長だなあって思う。叩き上げだよなあ。